内田梨瑚・警部補・伊藤雄貴の関係とは?旭川女子高生殺害事件の衝撃の真相
日本中を震撼させた事件は、殺人そのものの残酷さだけで終わらなかった。2024年に北海道・旭川市で起きた女子高生殺害事件は、容疑者・内田梨瑚の逮捕というニュースを超え、やがて別の衝撃的な事実を世間に突きつけた。捜査担当の刑事と容疑者が、不倫関係にあったというのだ。その刑事こそ、ネット上で「伊藤雄貴」として特定された元警部補である。この三角構図——内田梨瑚・警部補・伊藤雄貴——は、単なるスキャンダルではなく、警察組織の腐敗構造と、捜査の中立性をめぐる深刻な問題を社会に問いかけた。
事件の発端——旭川・神居大橋で何が起きたか
2024年4月、北海道旭川市の景勝地・神居古潭にかかる神居大橋から、当時17歳の女子高校生が石狩川に転落させられ命を落とした。被害者は留萌市に暮らす普通の高校生だった。
被害者の少女は留萌市に暮らす高校生で、SNSに内田被告の画像を無断転載したことを発端に因縁をつけられ、約60キロ離れた旭川市内まで車で連れ回された。暴行を受け、全裸にされ、気温5度の深夜に橋の欄干へ座らされた末の悲劇だ。息をのむような凄惨さ。だが、事件が世間の目を引き続けたのは、その後に明らかになった「捜査側」の問題にも理由があった。
旭川女子高生殺害事件は、2024年4月に発生した。被害者となった女子高校生は、SNS上のトラブルをきっかけに呼び出され、その後監禁や暴行を受けたうえで神居大橋から転落し死亡したとされている。内田梨瑚被告は主犯格として起訴されており、裁判では殺人罪などを巡る審理が続いた。
内田梨瑚とは何者か——主犯格として起訴された21歳
この事件で逮捕されたのが内田梨瑚容疑者(当時21歳)だ。報道によると、彼女は旭川市内の歓楽街に出入りし、未成年の少女たちとともにトラブルを繰り返していたとされる。逮捕当初、内田被告は「橋から落ちたかどうかは知らない。置いてきただけ」と容疑を否認した。
殺人や不同意わいせつ致死、監禁の罪で起訴された内田梨瑚被告(23)の裁判員裁判が2026年5月25日から旭川地裁で開かれ、同年6月8日に検察側が懲役27年を求刑したことで、改めて世間の注目が集まっている。公判では弁護側が殺意を否定する一方、共犯の小西優花受刑者(懲役23年が確定し服役中)は法廷で「梨瑚さんが背中を押した」と証言している。
しかし内田梨瑚の名前が再び浮上したのは、判決予想の話題だけではなかった。彼女と旭川中央警察署の現職警察官の間に不倫関係があったという報道が、事件とは別の怒りの火を点けた。
伊藤雄貴警部補とはどんな人物か
伊藤雄貴元警部補は、旭川中央警察署で勤務していた元警察官だ。旭川女子高生殺害事件の主犯格とされる内田梨瑚被告との不倫関係が報じられたことで注目を集めた。30代後半とされるこの元刑事は、刑事第一課・第二課に在籍していたことが、スナックで撮影された写真に写り込んだ名刺によって明らかになったとされる。
なお、この警部補について大手メディアは一貫して「X警部補」と匿名で報じている。ネット上では実名・伊藤雄貴とされる情報が拡散されているが、北海道警察や主要報道機関が公式に氏名を公表した事実はない。本稿でも、公式に確認された事実のみを取り扱い、未確認情報については注釈を加える立場をとる。
出会いの場所——警察官御用達のカラオケスナック
伊藤雄貴さんと内田梨瑚容疑者の出会いの場は、旭川の三六(サンロク)街にあるカラオケスナックだったとされている。三六街は旭川のネオン街として知られるエリアで、このスナックは旭川中央警察署御用達のお店だったとされる。
伊藤雄貴さんら旭川中央警察署の警察官約50名が新年会を開催した際、その日の深夜に内田梨瑚容疑者が来店したのがきっかけだったと言われている。酒が入った夜の一コマ。それが取り返しのつかない接点となった。
不倫関係が始まったのは2024年1月12日頃とされ、内田梨瑚容疑者が事件で逮捕される2024年6月12日まで約5ヶ月間続いたとされている。その間、伊藤警部補は何を知り、何を黙っていたのか。それが問題の核心だった。
捜査担当刑事が容疑者と不倫——前代未聞の構図
衝撃的だったのは、伊藤雄貴さんは当初、この事件の捜査担当刑事だったということだ。つまり、自分が不倫関係にあった女性が容疑者として浮上した事件を、自分が捜査していたわけだ。これが事実であれば、捜査の公正性はどこにあったのか。捜査情報が内田被告に漏れていた可能性を指摘する声が、ネット上だけでなく識者の間でも上がった。
不倫関係が内部で発覚した後、伊藤雄貴さんは捜査担当から外されました。しかし「外す」だけで十分なのか。この判断そのものが、道警の危機感の薄さを象徴しているように映った。
ネット上では「捜査情報は漏れていなかったのか」「適切な距離感だったのか」といった疑問の声が相次いだ。伊藤雄貴自身がこの事件の実行行為に関与した事実はないが、事件関係者とされる人物との不適切な関係が報じられたことで、警察組織の信頼性への疑問が噴出した。
訓戒処分という「激甘」対応と、その後の依願退職
伊藤雄貴は別の問題でも処分を受けている。2024年1月頃、当時19歳の女性がいる場で飲酒した問題が発覚した。北海道警察は伊藤雄貴と同席していた警察官に対し、訓戒処分を実施している。訓戒は懲戒処分ではなく、比較的軽い内部処分に分類される。しかし重大事件が社会問題化する中で発覚したため、「処分が軽すぎる」という批判も少なくなかった。
その後、週刊誌が2人のツーショット写真を掲載。最初のきっかけは週刊FLASHが報じた写真だ。内田梨瑚容疑者と伊藤雄貴さんが一緒に飲食を楽しんでいる様子を撮影した写真が掲載された。ただし、FLASHの記事ではモザイク処理がされていた。
その後、30年以上探偵業を営む戸塚敦士さんがTikTokで伊藤雄貴さんの名前と顔画像を公開したことで、一気に拡散が広がった。さらに、スナックで撮影された写真には伊藤雄貴さんの名刺も写っており、そこから「伊藤雄貴」という名前が特定されている。
「2人の写真が出回っていることは、本人も気づいており、辞職の覚悟を決めたと聞いています」という情報も流れた。実際、伊藤雄貴は2024年7月に依願退職したと複数の報道が伝えている。
さらに深刻な証言——「もみ消してやるから」
さらに深刻な指摘として、伊藤雄貴さんが内田梨瑚容疑者だけでなく、非行傾向のある10代の少女たちに対しても飲酒・喫煙を勧め、不適切な関係を持っていたという証言があるとの報道もあった。「もみ消してやるから」と国家権力を盾にしていたとする証言まで出ており、もしこれが事実であれば、単なる不倫問題では済まされない深刻な問題だ。
これらはあくまで報道・証言の段階であり、公的に立証された事実ではない。だが、こうした情報が次々と表に出てきたこと自体、旭川中央警察署をめぐる風土的な問題を示唆していた。現場の警察官が、捜査対象者や未成年者と夜の繁華街で交わる。その日常化した光景こそが、最大の問題ではないだろうか。
道警本部長の謝罪と「定型句」の空虚さ
2024年9月の北海道議会では、一連の不祥事について質問が行われ、北海道警察の伊藤泰充本部長が「職員による不祥事案が相次ぎ、道民の信頼を著しく損なう事態となっていることを重く受け止めている」と答弁している。しかし具体的な再発防止策が示されたという報道はなく、「信頼回復に努めてまいります」という定型句で締めくくられた。
「重く受け止める」という言葉は、この国の組織的謝罪の中で最も安売りされた表現の一つだ。北海道警察全体の信頼が問われているにもかかわらず、具体的な制度改善の動きが見えてこない。形式的な謝罪で済ませようとする組織文化そのものが、問題の根にある。
裁判の現在地——懲役27年求刑と弁護側の反論
2026年6月8日、旭川地裁で開かれた内田梨瑚被告の裁判員裁判(田中結花裁判長)で、検察側は「被害者の生命、人格を無視しており悪質」として懲役27年を求刑した。被害者遺族にとっても、社会にとっても、重い数字だ。
内田梨瑚被告の裁判では、弁護人を務める八重樫和裕弁護士が殺人の実行行為と殺意を否認する方針で弁護にあたっている。「被害者から受け取った4,000円と携帯電話を置いて立ち去っている。それは殺意がなかった証拠だ」との主張を展開しているが、共犯の小西優花受刑者(懲役23年が確定し服役中)は「梨瑚さんが背中を押した」「調書は全部ウソ」と真っ向から証言しており、法廷での証言の信用性をめぐる攻防が続いている。
法廷の外でも、議論は続く。「なぜ捜査担当刑事と容疑者の関係が、もっと早く発覚しなかったのか」「道警は知っていたのではないか」という疑念は、判決が出た後も消えることはないだろう。
この事件が問いかけるもの——警察と市民の信頼契約
警察官は市民の安全を守るために存在する。その存在が、重大事件の容疑者と私的関係を持ち、捜査の担当者に名を連ねていた——この事実の重さは、法的な処分の軽重とは別の次元にある。一人の警部補の不祥事が、北海道警察全体の信頼を大きく揺るがす事態に発展したといえるだろう。
捜査情報漏えいや事件への直接関与などについて公的に立証された事実は確認されていない。だが、確認されていないことと、起きていないこととは、まったく別の話だ。透明性の欠如こそが、市民の不信をさらに深める。捜査機関が自らの不祥事を内部処分だけで片付けようとする限り、その疑念は解消されない。
内田梨瑚・警部補・伊藤雄貴という三者の関係は、一つの事件の「余話」ではない。それは、権力構造の中でいかに腐敗が生まれるか、そしてその腐敗が被害者への正義をいかに歪めるかを示す、生きた教材だ。旭川の橋の上で命を落とした17歳の少女を追悼するためにも、社会はこの問題と向き合い続けなければならない。